まだ"Crowd Pleasers"にいたときにZodiacという
クラブで初めてLA (The Deele) に出会った。
当時はPrinceが出てきたころで、メイクアップして
レギンスを穿いて、というスタイルが流行っていて、
The Deeleもその路線で人気があり、The Deeleが
Zodiacに入ってくると皆が道を開けるし、女の子
たちが彼らに群がるんだ。
それに比べて自分はこんな↓↓↓ジャケットを着て
間違いなく「ダサい」部類に入っていたから、
それは衝撃的な光景だった。
それにKayoのベースがまたクールで。
歌詞がなくてもベースでリズムを刻んでいるだけで
こんなに格好良いなんて、と感動し、The Deeleの
メンバーになりたいと思った。
さっき言ったようにCrowd Pleasersではたくさん
学ぶことができたけれど、Crowd Pleasersの
メンバーは自分よりかなり年上だったし、このまま
ずっとトップ40の曲を演奏しつづけることに
迷いもあった。
それでCrowd PleasersのメンバーにHollywood
というキーボードプレイヤーがいて、彼はLAと
知り合いでよく電話で話していたので、次にLAと
話す機会があったらThe Deeleに新しいギターリストが
必要かどうか聞いてくれとHollywoodに頼んでおいた。
Hollywoodがしばらく何も言ってこないので、LAに
自分のことを話してくれたのかどうか確かめたところ、
「話したけどキミはThe Deeleには入れないという
返事だった。」
と言われた。
なぜかと聞くと、「breedじゃないから」と。
BreedっていうのはまさにPrinceのような外見のこと。
たしかに、Zodiacで最初にLAに会ったとき、僕はあんな
↑↑↑ジャケットを着ていたけど、そのあとがんばって
髪をカールして今では誰よりも「breed」なルックスに
なったのに!
LAはbreedに生まれ変わった今の自分を知らないんだ!
と悲しかった。
"Slow Jam"のデモのためにシンシナティに向かい、
そこでLAに会ったのが2度目。
ブースから出てきた自分を見てLAにbreedになったと
認めてもらえた。
それでもまだThe Deeleのメンバーにはなれなかった。
"Just My Luck"と"Crazy 'Bout 'Cha"という自作曲があり、
それをDeeと一緒に仕上げてデモを作ったあと、自分は
ミシガンに戻り、またCrowd Pleasersと演奏する地味な
生活を送っていた。
そして一か月くらい経ったころ、LAから連絡があり、
「The Deeleはレコード契約が決まったよ。」
と聞かされた。
本心ではうらやましくてしかたなかったけれど、僕の
デモ曲もレコードに入るかもと思い、精いっぱい冷静を
装って「本当に良かったね。僕も嬉しいよ。」と伝えた。
そしたらLAは「メンバーとも話し合ったんだけど、
良かったらThe Deeleに入らない?」
と誘ってくれたんだ。
まさに命が救われた瞬間ってかんじだった。
LAはデモで歌う自分を知っていたけれど、The Deeleは
すでにDeeとCarlosがリードシンガーだったから、自分は
曲作りとキーボードが担当だと言われたけれど全然それで
問題なかった。
もともと自分はソングライターで自分が作った曲を誰かに
歌ってもらえれば満足だったし、人前に出るのが苦手だから
少なくとも作曲で貢献できればいいと思っていた。
そしてThe Deeleの2枚目のアルバムに入っている
"Sweet November"ですが、この曲自体は高校卒業した
ころにすでに作っていたと。
カセットテープに入ったままになっていた曲で、これも
本来はThe Whispersに提供される予定であったのが、
童顔が歌うデモの"Sweet November"を聴いた
Dick Griffeyの一存で初めて童顔がThe Deeleの
リードシンガーとして歌うことになりました。
しかし童顔は、87年か88年ごろにようやく少しずつ
売れ始めるようになったけれど、それまでは誰にも
自分の曲を聴いてもらえなかったとおっしゃっています。
Benny Medinaに会うためにワーナーブラザーズへ行き、
何時間も待った挙句に「今日は会えない」と断られ、
また次の日も会いに行っては断られ、ようやく数曲
聞いてもらえたと思っても採用してもらえなかった。
他のアーティストに曲を提供しようとして断られた
ことも何度もある、と。
でも採用されなかったことには理由があるわけで、曲を
聴いているときの相手の反応を見ながら少しずつ手を
加えてゆく。
とくに自分が作った曲は、自分が聞くよりも相手の反応を
見ながら聞くとまったく違って聞こえるんだ。
だから相手の動きを観察して、どうすればもっと良いものに
なるかを常に考えて満足してもらえる曲になるように
プロデュースする。
相手がいいと思わないものを無理やり押し付けるなんて
楽しくないし、結局そういう曲はヒットしない。
T:それでは"Tender Lover"のことを聞かせてください。
僕にとってTender Loverは、良い曲を作りプロデュースする
ための方程式のようなアルバムなんです。
(ne4eの心の叫び:Tank、100点満点!)
童:Tender Loverの前に出した"Lovers"では、アーティストと
しての自分がまだ確立されておらず、アルバムのまとまりが
なかったように思う。
だけどTwo Occasionがヒットして、徐々に周囲が自分に
求めているもの=クール+ロマンティックだとわかってきた。
実はDick Griffeyは、Tender Loverをライオネル・リッチーに
提供しようとしたんだよ。
でもライオネル・リッチーに断られてしまったんだ。
(ne4eの心の叫び:えー--っ、ライオネル・リッチー???
そうだったのー-----っ???)
"It's No Crime”は、自分の声はファンクには向いてないと
わかっていたので、ファンクじゃないけどアップテンポの曲を
作りたいと思い、LAのドラムに乗せて作った。
当時はまず、最初に自分がだいたいの詩とメロディを作り、
そこにダリルがアイデアを足して、LAが曲全体のスタイルを
決めてドラムを入れて仕上げるっていうやりかた。
Tender Loverのアルバム全体を振り返って思うのは、幸せな
体験から悲しい体験まで、愛がいっぱい詰まったアルバム
だと思う。
T:"Whip Appeal"のMVのあなたはとてもセクシーですよね。
童:当時自分の周りにいた人からの影響が大きいと思う。
スターに囲まれていたからね。
例えばボビー・ブラウン。
今でも覚えているのは、車のラジオからボビーのライブが
流れてきて、彼は「Girlfriend」を歌っていたんだけど、
見事に音程を外したと思ったら
「こんな曲最初から歌いたくなかったんだ!」
って叫んだんだよ。
ラジオで生放送されているのに、だよ。
ワ~オ、なんてクレイジーな奴だと思った。
彼のエネルギーはすごいよ。
歌がうまいとか踊りがうまいアーティストはいるけれど、
ボビーの全盛期のエネルギーは本当にレベルが違っていて、
誰も手をつけられない、まさにキングだった。
そういうスターが身近にいると、自分も何か大きなことが
できるような気になるよね。
ところで、ここで「ベイビーフェイス」が誕生したときの
話をするね。
The Deeleでツアーをしていて、インディアナポリスで
ショウがあったとき、親知らずがひどく痛み出した。
歯医者に診てもらったら歯が歯肉の中に埋まっているので
抜いたほうが良いとのことで、4本全部抜いたんだ。
次の日になっても痛みがひどく、とてもステージに立てる
状態ではなくてメルヴィン兄が代役をつとめてくれた。
そしてその次の日はニューオリンズに行き、スーパードーム
という有名な会場でコンサートをすることになっていて、
まだ歩くだけでも痛かったけれど、スーパードームで演奏する
チャンスを無駄にするわけにはいかなかった。
そこでとりあえず僕以外のメンバーで演奏して、Two Occasions
の番になったときに
「ベイビーフェイスは体調が悪くて・・・
でもみんなをがっかりさせたくないので、今から登場します。
ベストを尽くしますのでどうかあたたかく迎えてください。」
と紹介され、白いスーツを着て、必死に痛みをこらえてピアノ
まで向かった。痛みで口を開けるのもやっとだったけれど
「'Cause every time I close my eyes...」と歌いだしたら
オーディエンスが熱狂したんだよ。
それが「ベイビーフェイス」にスポットライトが当たった瞬間で、
自分はエル・デバージなんじゃないかと錯覚した。
だから残りのツアーの間もずっと体調不良でいることにした(笑)
そうやって、かつては人前に出るのが苦手だった人間が少しずつ
アーティストとしてのベイビーフェイスになる方法を見つけていき、
Tender Loverを制作する手助けとなった。
J Valentine:あなたの親知らずを抜いてくれた歯医者さんに感謝
します。
(ne4eの心の叫び:童顔!もとい、同感!)
童:自分が恵まれていたのは、自分自身だけに頼るのではなく、
他の人のために曲を作り、彼らを通して自分の音楽が生きている
ことを実感できること。
(Tankに向かって)"Can We Talk"のチャレンジをありがとう。
あの曲を作ったときはこんなにも時代を超えて人々に愛される
曲になるとは予想もできなかったから、たくさんの人が歌って
くれるのを見て、これは本当に素晴らしい贈り物だと思った。
T:あなたにとって、R&Bシンガーのトップ5は誰か教えて
ください。
童:むずかしい質問だね。
ソングライターの視点で、声に圧倒されたということで選ぶと
James Brown
Stevie Wonder
Donny Hathaway
Aretha Franklin
Whitney Houston
そしてAretha Franklinとのちょっとしたエピソードを披露して
くださいましたが、それについてはこちらに詳細があります
のでぜひご参照くださいw
T:あなたにとって、R&Bソングのトップ5を教えてください。
童:今日のトップ5ね。明日聞かれたら違うトップ5になって
いると思うから。
Luther Vandross: "House Is Not A Home"
El DeBarge: "Time Will Reveal"
Jackson 5: "Lookin' Through The Windows"または"Maybe Tomorrow”
Earth, Wind & Fire: "September"
Cameo: "Keep It Hot"(←曲名が思い出せず、たしか「K」で
始まる曲とおっしゃってワンフレーズだけ歌われたので、
調べましたw)
T:「R&B Voltron」と呼んでいるのですが、パーフェクトな
R&Bソングを作るために、ヴォーカル、パフォーマンスの
スタイル、ハート(パッション)のそれぞれの分野からひとり
選ぶとしたら?
まずはヴォーカルから。
童:声域も大事だけど(とくに以前はそう思っていたけれど)、
今の自分はエモーショナルな声に惹かれる。
Daniel Caserの声は好きだな。
あとGiveonも個性的な声をしている。
あの声が欲しい、あんなふうに歌うことさえできればどんなに
いいだろうって思ったのはBebe Winans。
あっ、同じことをジョニー(JG♡)にもよく言ったな。
パフォーマンススタイルは・・・
今日のR&Bは女性アーティストが主流になっているよね。
Jazmine Sullivan, Summer Walker, それから
"Girls Night Out"で共演したTiana Major9, Ari Lennox,
Kehlani, Coco Jonesの才能にも驚かされた。
J:"Girls Night Out"の男性版をやる予定は?
Tankも僕も空いてますが(笑)
童:う~ん、どうかな。自分は女性と組んだほうが良い
仕事ができるような気がするけど。
T:「R&B Voltron」がメチャクチャになりましたが・・・
でもあなただから、もうなんでも良いです。
お好きになさってください。
(ne4eの心の叫び:ええ、ワタクシも同じ境地よ。)